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豪雨から三日後の日曜日、蘇刈集落の友人から電話があり、車が通れるようになり、多数のボランティアが来てくれているので、今のうちに集落内の家の片づけをしたほうが良いとの連絡。
現在は、会社から15分の瀬戸内町の中心、古仁屋の町で暮らしているが、奄美に初めて来た時から子供が大きくなるまで、会社に近い蘇刈集落内に一軒家を借りて暮らしており、現在も倉庫代わりに借りたままでいたのだが、その蘇刈集落も今回の豪雨で水没してしまったのだ。深いところでは、人の胸まで浸かったそうだ。 私が借りていた家は、集落内を流れる川のすぐ横であった為、ゴミがすごいらしい。私達は会社のことでいっぱいいっぱいで、借家のほうまで気が回らなかったが、被害調査をしてきた役場の友人が、「確か腰のあたりまで水位の跡があったので畳の上30センチは確実でしょう、また、山から流れてきたゴミが玄関の前まで山になってました。」と言っていた。 豪雨翌日からこの日まで私達はまだ船で通勤しているが、どうにかようやく集落までは何とか車が通れるようになったらしい。しかし集落から会社までは未だ手つかず大規模土砂崩れのままだ。行けるとこまで車で行って後は徒歩。軍手とスコップや紐を用意して泥だらけの悲惨な状態の道路を倒木や倒れた電柱、電線をよけながら歩いた。車ならあっという間だが歩くと結構遠い。 集落内に入るとこんな状況。 膨大な量の家財道具やゴミの山 ほとんどの家屋が床上浸水でダメになった畳も膨大 20名ほどのボランティアの方たちが手伝ってくれ、ダメになった家財道具や畳を運び出した。 約2時間、休む間もなく一気に作業をした。その中でいる物といらない物の選別と判断を迫られ、何がなんだか、目が回るほどの忙しさとはこのことだった。 やっと運び出して皆さんに心からお礼を言った。この日は、集落全体で150名ものボランティアが参加してくれていたようだ。本当にありがたかった。 大事にしていたレコードや本。女房や子供たちのとの思い出の品もあっという間にゴミとなってしまった。 その時は、大忙しで、感傷に浸る暇も無かったが、後々あれは置いておけばよかったと思うものがいっぱい出てきた。本当にひどい話だ。 唯一思い出の写真類は、偶然数日前に私が立ち寄った際、棚の上にあげていたので無事であった。 実は、未だすべての片づけは済んでいない・・・。
by sakura-suisan
| 2012-02-26 16:16
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